終戦記念日

今日は終戦記念日。戦後61年になるという。
私は当然なことに戦争も知らなければ戦後の混乱期も知らない。
日本が平和で豊かになってから生まれてきて、それが当然だと思ってのーのーと生きてきた世代だ。
しかし、何故か学生時代から戦争の本は片っ端から読み漁った。
ゼロ戦での特攻意外に人間魚雷やグライダーでの特攻まで考案されていたことも知ってる。
悲惨な玉砕の話も読んだし、戦犯のことも本で読んだ。
学校では教えてくれなかった戦争のことをそれらの本で知った。
その結果、ある事件があるまで私は首相の靖国神社参拝は当然だと思ってた。
でも、今は反対だ。
それはアメリカのスミソニアン博物館で原爆の展示があったというニュースを知ってからだ。 原爆を肯定する展示をおこなったということを知って、日本人として許せないと思った。
私は長崎にも広島にも親戚も知人もいない。
だけど、あの原爆で悲惨な目に合わされた人たちは紛れもなく私と同じ日本人だ。
私が原爆に対して感じた感情を中国、韓国の人たちがA級戦犯に感じているなら、その人たちの気持ちを逆撫でするようなことをすることは果たして正しいことなんだろうか?
まして、先の戦争は日本が中国、朝鮮を侵略した戦争だ。 その戦争責任者に対する思いは私達日本人では推し量れないほどのものだと推察する。
外国に言われて辞めるとか辞めないとか、そういうレベルの話ではないように私は感じている。
私自身、先の戦争でお国のために戦ってくださった方々がおられたから今の平和があると思っている。だから個人として靖国神社に行くことは誰からも指図されるべきものではないと思う。
しかし、日本の国の代表者は1個人ではない。
行くなら首相を辞めてからでも良かったのではないか・・・と思わずにはいられない。
ちなみに私は初めて1人で東京に行ったとき、真っ先に靖国神社を参拝した。 神社内に戦争の遺品を展示してあるところがあるが、私はすごーーーーーい恐がりなんだけど、私が行ったのは平日で展示室に人影も無かったけど、ひとりでしっかりと見て来たぞっ。
建物の前に人間魚雷「回天」があった・・・私は「回天」特攻隊に所属されていた方の手記を読んだことがあったので、感無量だった。。。。私が本で読んだこと、本当だったんだ。。。。という展示の数々。今の平和と幸せがこういう方々の命と引き換えにあるんだと実感するに充分なものだった、あの記憶は忘れられない。
私の祖母は戦争を経験している。
私の母はずっと「A級戦犯の人も亡くなられたのだから、もうそっとしてあけていいのでは。。。」と思っていたそうだ。 しかし、戦犯の孫がテレビに出てきて、堂々と自らの祖父の弁護をする姿を見て、A級戦犯に対する、戦争経験者の憎悪の気持ち、どれだけの人間の命が失われ、どれだけの人間が苦難を舐めたかを思い出したと言って涙を流して言った。。。。「A級戦犯は許せない」と。
その孫が堂々とメディアに出てきて意見を言うなど、なにを考えているのか!と言った。そんな立場ではないだろうと。。。。。私もその女を許せない気持ちで見た。
人の命を踏み台にした一族はそれを何とも思わないらしい。。。。恐ろしいことだ。 私はどんな理由があるにしろA級戦犯は分詞されるべきだと思ってる。 本当に天皇のために罪を被って命を棄てたというなら、最後までその姿勢を貫いてこそ、あまたの英霊に報いるすべではないか。