愛しのあほ犬

 

我が家では、何か悪い事をすると

「もぉ~っ、!このあほ犬!!」と叱ります。

 

 

あほ犬・・・・。

なんだか、憎めない愛おしい響きですよね。。。。

(大阪人の我が家にとってはかも知れませんが・・・・)

 

 

おちゃちゃラブパピ

この「あほ犬」の洗礼を受けて育ちました。

 

 

今、

この「あほ犬」はあいの別名のようなものですが。(^^ゞ

 

「あほ犬ことあいちゃんでち。」

 

 

でも、

その前は「あほ犬」はラブの別名だった時期もあります。

 

「元あほ犬のラブです。」

 

 

ラブは天地が逆さまになっても

絶対に「あほ犬」では無かったのですけど、

でも、よく「あほ犬!」と言われてました。

 

 

ラブは我が家に来た当初は本物の「あほ犬」でしたけど、

森下先生に出会って、その才能を見いだされ

本物の賢い犬になってました。

 

でも、愛情をこめて「あほ犬」とよく呼んでましたっけ。

 

 

ラブは今思えば天才だったんだと思います。

でも、最初凄いあほでしたから、飼い主的にはずっと

「あほ犬」でした。

 

 

ある時、

盲導犬はラブラドールの中でも超エリート、

特別に賢い子でないとなれないとテレビでしてて

森下先生の前でつい

「うちのラブなんか、もう絶対に無理ですよねぇ~♪」と言って

普段は寡黙で無駄口も言われない先生から

真剣に叱られたことが忘れられません。(^^ゞ

 

 

森下先生はちょっとムカッとした表情で

ラブなら盲導犬でも余裕です!ラブなら不可能はありません!」

とかなり厳しく言われて、思わず「すみません。m(_ _)m」と

誤った、バカな飼い主です。(^^ゞ

 

 

きっと、森下先生はラブの本当の値打ちも分からない

困った飼い主だと思われたことでしょう。(^^ゞ

 

 

その森下先生はラブよりも先に天国に行かれたので

その後のラブのこともきっと天国から見ていてくださった

ことと思います。

 

 

ラブは先生の言われる通り、本物の天才でしたよ。

 

 

だって、ラブと暮らして十数年、

ラブを犬だとは思わなかった、思えなかったですから。

 

 

ラブと出会った人は口を揃えて

ラブちゃんは人間臭い犬だ。」って言われるくらい。

やることなすこと「犬」ではなかったですから。

 

 

よく、森下先生が

ラブは私の気持ち、心の中が分かるんです。」って

そう言われてました。

 

 

ラブって本当にそんな子でした。

我が家的にラブラドールは皆そうなんだと思ってて

なんと!それが特別だとは思わなかったのですが・・・・・。

 

 

そうではないと

 

 

あいと暮らして理解しました。(^^ゞ

 

 

だからあいが嫌いとかそういうことは絶対になくて、

正直、あいとの生活は衝撃的だったんです。(^^ゞ

 

 

ラブラドールは人間に限りなく近い生き物だと思ってたのが、

実は怪獣だったと分かった衝撃!!(^^ゞ

 

 

ラブの時よかそれぞれ15才も年くった我が家の家族は

もう、慌てふためきましたよ。(^^ゞ

 

 

だからこそ、こちらの言ってること理解してるな・・・って

そう思ったダケで、もう凄く嬉しいんですよぉ~~~っ。

 

 

1つ、我が家の家風に沿って来たな・・・って思ったら

その喜びったら凄いものでしてねぇ~っ。

 

 

怪獣と暮らす、新しい喜びを見つけてしまいました。(^^ゞ

 

 

もしかすると、ラブあいと同じ道を経て

天才になったのかも知れないですよね。。。。

 

 

15才若かった事と、初めて大型犬を飼った緊張感と

最後はこの上なく素晴らしい子だったことから忘れてたのかも。

 

 

あいよ・・・・・

ねぇーちゃんはラブのようになれとは思ってないよ。

 

 

あいあいらしく生きなさい。

あいが一番幸せだと思える生き方をしなさい。

 

 

 

ラブも自分の要求はしっかりと伝えてた。

ラブラブらしく生涯を全うしたのだから・・・・・・

 

 

あいあいらしくこれからの人生を幸

ありがとう!

 

昨日、ラブの命日に

なんと!お花が届きました。

 

 

 

 

今年3月に亡くなったハルちゃん(うちのハルさん。)のるんさんからです。

 

 

ラブの一周忌に贈っていただいたものです。

 

 

ラブの命日、覚えていてくださって・・・

めちゃめちゃ感激しました。。。。。

 

 

自宅にはイタズラ盛りのあいがいるので、

新しい仕事場においてある

ラブの生毛で作ったあみぐるみの横に

お供えさせていただきました。

 

 

 

 

るんさん、本当にありがとうございました。m(_ _)m

 

 

 

新しい仕事場は太陽サンサンで明るいから

お花もキレイに見えるね。(^^)

 

 

ラブは本当に幸せ者だね。

こうして、ラブのこと忘れずにいてくれる人がいて。

 

 

と感激に浸っていて、

ふと、お花のカードを見ると。。。。。

 

 

 

 

おっと!

ラブよ、ちゃんとハルちゃんの面倒を見てあげてる?

ねぇーちゃんは心配だなぁ~~~っ。(^^ゞ

 

 

今頃、

ラブの前に天国に行った子、

そして、ラブの後から天国に行った子達と

仲良く幸せに暮らしてるんだよね。

 

 

どんなに楽しくて幸せでいても、

ねぇーちゃんが虹の橋に行ったら

必ずお迎えに来てよね。

忘れないでね。

 

 

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一周忌

 

2009年9月1日は

私の最愛の愛犬ラブの命日です。

 

 

あの、突然の悲しい出来事から

もう1年が経ちました。

 

 

我が家には超ごんたのあいがおりますので、

ラブのいる場所はあいが手出し出来ない高い場所です。

 

お骨もまだ側に置いてます。

 

最初は2.3カ月で納骨したら?と言われて

せめて、初盆まで・・・・と言ってましたが、

ついに一周忌の今日現在もしっかり手元に置いてます。

なんだか手放せなくて・・・・・

 

 

この1年、

私は1日たりともラブを忘れたことはありません。

 

 

でも、

ラブは一度だけ一瞬夢に出た?出なかった?くらいで

夢にすらちゃんと登場せず・・・・

本当に薄情な奴です。(・・、)

 

 

でも、探し物が見つからず困ってラブにヘルプ!ってしたら

即座に見つかったりしたこともあったりして、

ラブはずっと私の側にいてくれているんだと思います。

 

 

今日は1日どっぷりとラブの思い出に浸って

愛するラブを語りたいと思います。

 

 

ラブは1994年7月13日大阪生まれ。

日本橋のペットショップで運命の出会いをして

うちの子になりました。

 

 

 

子犬の頃のラブです。

この頃は親父のゴルフボールで毎日遊んでましたっけ。

 

 

私がパソコン通信を始めたのも、パソコンに興味を持ったのも

おちゃちゃラブが可愛くて皆に自慢したかったから。

だから、ラブのお陰と言えると思います。

 

 

乗れなかった自転車に乗る練習したのは

河川敷にラブの訓練の見学に行きたかったから。

 

 

ペーパードライバーだったのに運転し始めたのも

ラブを病院に連れて行く為でした。

 

 

パソコン初めて、すぐにホームページを作ったのも

ラブの自慢がしたかったからです。(^^ゞ

 

 

とにかくラブは私に色々なことをさせてくれました。

 

 

 

この画像は某プリンターメーカーの

Tシャツコンテストに投稿し、入賞して旅行券10万円貰った時のです。

(もそっと加工してましたけど、その画像は発見できませんでした。)

賞金で一眼レフのカメラ(アナログ)を買いました。(^^)

 

 

 

とにかく感が良くて可愛い子だったけど、

やはり子犬の頃はいっぱいイタズラの逸話がありましたっけ。

 

 

 

訓練に行き始めてからしばらくして、競技会に出るようになり、

PDの血統書の他にJKCの血統書も取得して

あちこちに出陳してましたが、賞状、トロフィー、置物などなど

いっぱい貰ってきてました。

 

結構いつも良い成績で、飼い主が驚いてました。(^^ゞ

 

 

 

これは出場頭数100頭以上の競技で3位に入った時の表彰の画像です。

 

 

 

ジャンプが得意で、これは私がしてもちゃんとしてくれました。

オフ会に行ったら皆に見せてまたまた自慢しちゃってましたね。

お仲間が連続写真を撮ってくれてますが・・・

私がドデカク写ってるので未公開にしておきます。(^^ゞ

 

 

 

長距離の運転が出来なかったのと、仕事のお休みが無かったので

ラブの競技会は2度しか見に行ったことはないのですが、

この時は出場前にラブと顔が合ってしまって・・・・・

残念な結果になっちゃいました。。。。(^^ゞ

 

 

競技会から帰って来たラブの顔みたら

先生から結果聞くより前に結果が分かりました。

 

 

結果が良い時はラブが満面の笑顔で帰って来るんですが、

先生の期待に答えられなかった時はガックリとした様子で

打ちしおれて帰ってきてましたから。。。。

 

 

 

森下先生には凄く可愛がっていただいて、

一度先生が預かりたいと言われて、ご自宅に泊めてくださった時、

先生のお布団に潜り込んで毎晩一緒に寝ていたそうです。(^^ゞ

 

 

2度目の霧ケ峰の時も

ペンションで先生のベッドに潜り込んで寝ていた大胆な奴でした。(^^ゞ

 

 

 

ボールの次に泳ぐのが好きで

春と秋、人のいない時を狙ってパピも一緒に琵琶湖も

よく行きました。。。。

 

 

道を覚えてて、琵琶湖が初めて見える景色の場所に来ると

大興奮して大喜びしてましたっけ。。。2匹で。(^^ゞ

 

 

 

イタズラもいっぱいしたけど、

何時の頃からか落ち着いて、人の気持ちの分かる

本当に可愛いワンコになってました。

 

 

 

若いころは茶色がキツメの色目でしたけど、

年をとってからは白髪なのか、とにかく色白美人になってましたね。

 

 

母がよく、犬はシワが出来なくてイイなぁ~って言ってました。(^^ゞ

 

 

 

ラブはお目目パッチリ、お耳がデカクて、

鼻づらが長くて、お鼻が豚鼻で・・・。

容姿はそこそこだけど、知的で上品な顔してましたよ。。。。。

 

 

 

晩年は右足の肘関節の形成不全が発覚し、

ビッコをひくようになって、ずっと薬が不可欠になったり、

前提障害になったり、乳腺腫瘍の疑いがあったりと

色々ありました。

 

 

どんな時も家族と一緒に居ることが生きがいの子だったから

どんなことしてもラブを連れて行くことが私の介護でした。

 

 

仕事場の階段がダメになった時はまだ30キロありましたけど、

その巨体を抱いて急な階段を下りたのが私の初介護です。

 

 

それから2年半、

最初は階段を下りるだけが上がり降りになり、

全身を持ちあげての散歩になり、

ついには段差の全てを抱いて移動するようになり、

そして、散歩の大部分を抱っこして帰るまでになりました。

 

 

私も体はキツかったし、

最後は膝も痛めて満身創痍でしたが、

でも、ちっとも辛いとは思わなかったんですよね。。。。

 

 

 

介護時代のラブはおちゃめで可愛くて、

私のこと凄く頼りにしてくれたし、

後半は何故かいつもニコニコと笑顔笑顔だったからです。

 

 

ラブに長生きして貰いたかった・・・・

料理なんかしたこと無い私がせっせと手作りごはん作ったりり、

良いと聞いたら食材でもサプリでも何でもあげてました。

 

 

今思えば、体には良いかもしれないけど、

決して美味しそうではない私の手作りごはんを

大喜びで食べてくれていたラブ・・・・・。

 

 

私の知り合いのラブちゃん達が

15才を目前にして亡くなる子が多くて

15才を超えることは難しいと思っていた頃、

ラブに15才を一緒に祝いたいと言い続けてました。

 

 

15才と1か月と19日。

私の願いを叶える為に精一杯頑張って生きて

私の願いを叶えてから天国へ旅立ちました。

 

 

最後まで、理想的な亡くなり方でした。

 

最後まで、飼い主孝行な良い子でした。。。。

 

ラブよ、今どうしてる?

何処にいても、どうか幸せでいて欲しい。

 

私はずっと

ラブの幸せを祈ってるからね。。。。

 

 

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