ペットロス

実は私は過去にペットロスを経験している。
それは私が高校2年の夏、それまで5年間一緒に暮していた文鳥のピピが亡くなったとき。
今でも命日も覚えている、8月21日、地蔵盆の日だった。
当時の私は家庭の中で恵まれない存在だった。
別に特別のバカでは無かったけど、何にでも優秀で良くできる妹がいて、その妹と自分を親や親戚に差別されているという疎外感を持ち孤独を囲っている時期だった。
多分、私の人生の中でもとても辛かった時期だったかも知れない。
そんな時、私の心の支えだったのは白文鳥のピピちゃんだった。
手乗りで、とっても利口な子だった。
私とは相性が良かったのかも知れないな・・・私の肩に止まって何処へ行くにも逃げないで付いてきたし、私が呼ぶと「チュンチュン」と返事もした。
夜トイレに行くのが恐かった私にいつも無理矢理だけど付いてきてくれた。。。
小鳥の5年以上は長生きなんだそうだが・・・・・。
亡くなった時は私の人生が終わったと思うほど嘆いた。
最初は何をしても思い出して泣き暮らし、それから1年、ピピの供養と称して鶏肉を口にすることを辞め、そしてピピの話が出ると涙涙の日々だった。
今でも思い出したら涙が出る。。。ピピの死は何よりも何よりも辛い思い出だ。
泣き暮らして1年、ピピの命日の夜。
忘れもしない自宅近くの駐車場でピピの幽霊?が飛んできて、私の肩(いつもピピが乗っていた)をスッとかすめた。。。。
ピピが戻って来たと思った。
それがあって私も少し落ち着いたんだと思う。
それから4年余りは私が辛い時にはピピが私の夢枕に立ってくれていた。
ピピが最後に私の夢に出てきた時、ピピは私に「生まれかわることになった。」と挨拶をして、それ以後ピピは私の夢には出てくれなくなった。
きっと私が立ち直ったのを見極めて、成仏してくれたのかも知れないな。。。
私が本当に立ち直るのに正味5年掛かったということになる。
それくらい愛する物の死は辛いものだ。
2006年08月08日のブログに江原さんが愛犬の死について言われた言葉を書いていた。
亡くなった子はいつも私の側にいるのだそうだ。
ピピもコロも蘭丸もレオナも今も私の側にいてくれるのかな。
きっといてくれるのだと思う。
そう言えばピピの好物はピーナッツだった。私が食べていると横から嘴を出してきて私のピーナッツを小さい嘴で齧る?ヤツだった。
餌はシードと呼ばれる皮付きの餌が好きでヒエとかアワを出すと食べなかったりしていたな。。。
糞は絶対に同じ場所にするので、ちょっと掃除をサボると糞が山になっていたり、とっても面白いヤツだった。
忘れようたって忘れられるものではない。
忘れるのではなく、思い出にすることが立ち直るということかも知れない。
愛するペットの死が辛いのを知っているのに、また一緒に暮らしてしまう。
また辛い思いをするのが分かっているのに。。。。
しかし辛い思いをする以上に、その子が生きて自分の側にいて与えてくれた幸せ、喜びは何にも替えがたいほど大きいということも知っている。
だから私はこれからも動物を愛し続けるだろう。。。でも、亡くなった子達のことも決して忘れない。